今日もまた、このブログを読みにきてくださり、ありがとうございます。
ようやく子供たちが外へ出かける時間が増えてきたので、溜まりに溜まった所用に手をつけています。
しばらく買いに行けなかった日用品や衣類の買い物。
金融関係や役所の手続き。
事務処理の数々。
これらに比べると、子供と散歩したり勉強を教えたりする時間の方が楽しかったかな、なんて思います。
コロナのおかげで、いつになくどっぶりと子供と関わる事が出来たし、家族との絆を深めることができた気がします。
ピアノを弾くことは、5月に入ってからはほぼほぼ諦めていました。
目の前にあること(子供の相手をすることや家事)を楽しむことだけを考えました。
それ以外に、世界には何も存在しないかのような日々を送ってきたように思います。
そして今。
6月も半ばにさしかかる今日この頃、ようやく私がピアノを楽しむ順番が回ってきました。
ところが「指が、、、、怠っている!!!!」
下手クソすぎる!!!!!
あまりの下手クソさに、がっかり&びっくりしています。
これからまたやり直し(笑)。
仕方がないので、すごくゆっくり弾くことから始めてみました。
細かいコントロールが効かないので、ゆっくり確認しながら片手ずつ確かめます。
がっかり&びっくりの下手くそも、少しずつの改善が見えてきました。
やっぱり練習は裏切らないのです!
練習は素晴らしい😊
もっと弾きたいなぁぁぁぁ
今日のピアノの話はここまでにします。
最近、重大な気づきをしてしまったので、こんなことをブログに書くのはどうかな、、という迷いがありますが、書いてみます。
(ピアノ教室を探していらっしゃる方には興味のないことであるかもしれず、ごめんなさい)
それというのは、障がい者についてです。
私の長女は13歳。自閉症ど真ん中です。
私はこの3ヶ月、一日中彼女と一緒に過ごしたと言っても過言はありません。
彼女は時折、激しいパニックを起こします。
さっきまで機嫌よく過ごしていたはずが、急変してしまうのです。
そこから先は数十分から数時間の嵐が続きます。
彼女のパニックは家庭の団らんを破壊してしまうので、とても辛い出来事です。
何故、パニックを起こすのか、原因を探そうとしますが、突きとめられないことがほとんどです。
パニックを防ぐことのできない私たち支援者の無力さを、ずっと嘆いてきました。
どうしてこんな風に家族に苦しみをもたらすのかと、自閉症である娘を嘆いてきました。
最近のある日、私としては重大な気づきを得ました。
根拠はありませんが、自分では信憑性があると思っています。
彼らのパニックには重要な意味と役割があるのではないか。
彼らのパニックは、人々が過去に積み重ねてきた悲しみや恨み苦しみなど、人類の業の浄化作用なのではないか。
人間の肉体の死とともに、人生で経験したすべての怨みや悲しみが一気に消滅するだろうか。いや、しないのではないだろうか。
どこかに残るのではないだろうか。宇宙規模的な記録として存在しているのではないだろうか。
その方が何となく合点のいく話だ。
それらのレコードが消滅し、癒やされていく手段として、自閉症者たちのパニックとして現れているのではないだろうか。
そんなことを、ある日急に思ったのです。
それ以降、私は彼女のパニックや機嫌の悪さを前向きに受け止めるようになりました。
「大丈夫だよ、どんどん出していいよ。今ここで癒やすよ」
と思って見守ることができるようになった気がします。
この解釈の正否はともかくとして、私の気持ちを明るく穏やかにさせるには十分に役立つ「世紀の大発見」でした。
これによって娘のパニックは、以前よりも早く癒やされるようになりました。
主人に話すとこう言いました。
「それって、自閉症者だけではなく、健常者にだってあるんじゃないか。
急に不安に襲われたり、怒りが湧いてきたりすることがあるのに、原因が分からないことがあるじゃないか。」
と。そうかもしれませんね。人の心は見えない水面下で繋がっているのですからね。
前回のブログで、旧友のコーチングを受けたことで、とても素晴らしい結果をもたらされたことを書きました。
その続きと言っては何ですが、この頃いろいろな気づきがあります。
娘のパニックについてもその一つですが、ピアノ教室のあり方や指導についても、少し自分が変わってきたなと感じています。
人は刻々と変わりますね。
だから面白いのですね。
またこのブログでお会いできたら嬉しいです。
どうぞお元気で。
立川市 ピアノ教室ソラージュ