プロフィール詳細


東京都町田市出身。

私のピアノ経歴はそれほど立派なものではないのですが(東京都立芸術高校卒、東京音大ピアノ演奏家コース卒、同大学研究生コース修了)ピアノとともに歩んだ半生を書かせて頂きますので、ご興味のおありの方がお読みくだされば幸いです。 

幼少時代~小学校時代


5歳、母のすすめでピアノを習い始めました。

近隣のピアノ教室で、お宅が美しく整えられており、先生は上流階級の貴婦人さながらのハイソな印象に、親子共々すっかり魅了されて入門しました。

 

私は耳がよく、すぐに音を覚えて楽譜を見ないで弾いてしまうので、楽譜に書かれた指示が届かず、導入の頃は先生によく叱られていました。練習中しばしば気持ちが逸れて、数十分も即興演奏をして遊んでしまうため、母から「こら、ちゃんと宿題を練習しなさい」の声が飛んできました。今思えば、私の即興や作曲好きは立派な才能だったのですけれどね。

 

好きこそものの上手なれというもので、サクサクと教材は進みました。ソルフェージュや即興演奏が得意で、ソロも好きだけど2台ピアノは何より楽しいという小学生時代でした。6年生も残り半年という頃、中学受験は絶対イヤと拒む私を見て、母に素敵なアイディアが浮かんだのです。「まゆこは女の子だし、ピアノを専門にやってみる?」と。私は「ピアノなら、いいよ」と即答したのでした。

 


中学~高校時代


12歳にもなると、上手な子はプロ顔負けの立派な演奏家でした。そんな子に比べれば私は箸にも棒にもかからない下手くそで、才能あふれる若いピアニストたちの存在に衝撃を受けながらも、初めて私の世界へ流れ込んできた名曲の数々に狂喜していました。

 

「私は将来ピアニストになる!ショパンコンクールで入賞したい!」と無謀な夢を本気で抱いていました。当時話題となった少年ピアニスト・キーシンの演奏を初めてラジオで聴いたのは中2の冬でした。全身に電撃が走るとはこのこと、生まれて初めて「音楽が魂に浸透する」のを感じました。その頃からずっと、キーシンは私の大切な「ピアノの伴侶」です。

 

熱心な練習が実り、少々高望みと思われた都立芸術高校へは好成績で入学し、意気揚々とピアニストへの道を邁進する私でした。高校時代は挫折を繰り返しながらも、大学進学の目標は東京芸大と定めて、ピアノの上達のためならどんな努力も惜しまずやりました。果たして、一年間の浪人生活を経て、東京芸大ピアノ科へ見事合格したのです。・・・ですが、入学しませんでした!東京音楽大学にどうしても習いたい先生がいるという理由でした。

 


大学時代


東京音楽大学ピアノ演奏家コースへ特待生として入学。

ところが大学時代は次第に苦しいスランプに陥って行きました。それまでは何の疑問も持たずにピアニストになりたい一心だった私でしたが、無邪気に演奏に向かえなくなり、素晴らしい名曲の数々は、私が賞賛を得るために存在しているのではない。うまく弾こうと思って弾くなんてナンセンスなのではないか・・・など、哲学的(?)問答が始まったのでした。

 

大学時代に播本枝未子先生と田崎悦子先生という、お二人の名教師から薫陶を受けることができたのは本当に幸運なことでした。お二人ともが、既成枠にとらわれない大胆な発想の持ち主であり、音楽家としての大切な指針を示してくださいました。あの頃受けた具体的なアドバイスは、今でも練習していると耳の奥から聞こえてくることがあります。あれはそういう意味だったのか!と、先生の伝えてくれた意味がより深く理解できる瞬間があるのです。素晴らしいレッスンを受けられたことは誠に人生の宝です。

 

とはいえ、大学時代はピアノ演奏そのものよりも、音楽と世界、人間の存在の意義について考えることにエネルギーを注いでいました。ギリシャ哲学や中世のキリスト教の文献に興味を持ち、多くのヒントを得ました。同大学講師の音楽学者の丸山桂介氏に感銘を受け、同氏のゼミへ参加しつつ、モーツァルトの研究に勤しんでいました。(1994年論文「モーツァルトと協奏様式」を発表)

 

社会人となって


20代前半の、キャリアを積むべく大事な時期を逃してピアニストへの夢は遠のいてしまいましたが、卒業後は次第に呪縛が解けて、再度、自分のインスピレーションを解放できるようになってゆきました。

 

心がほぐれると、指も動くようになるのを実感しました。演奏を復活させ、しばらく眠っていた作曲を再開しました。数多くの伴奏(合唱、歌、弦楽器等)を楽しみ、多くのジョイントコンサート(1996年韮崎市ブリーズリサイル、1999年、2001年AAEコンサート等)に出演し、初めてのソロコンサート(2000年Art Space ”O”)を開催しました。

 

大学時代の研究をまとめて、1999年~2001年(財)社会経済生産性本部主催「生産性の船」へ音楽講師として乗船し、講話や演奏を発表できた事も素晴らしい体験でした。

2002年~2003年コンサートシリーズ“夢旅人”のメンバーとなり、作曲や編曲を数多く発表しました。

2005年に自作を集めてCDを作成(草原歌 Vol.1)しました。

同じ頃、歌と絵本と語りのコラボで活躍中の礒田禎子氏と共演の機会を得て、一緒に公民館、各種イベント余興、コンサート会場、養護学校などに出向き、作曲と演奏の両方を生かすユニークな表現ができました。

数年の音楽活動の集大成として、2003年フィリアホールにて、ソロリサイタルを開催しました。

 


ピアノ講師として


ピアノ指導歴という方面では、20歳から出産直前までの15年間、小学生時代に在籍していたピアノ教室に講師として勤め、中・上級レベルの生徒を指導しました。20代後半からは自分のピアノ教室を開室し、結婚までの6年間、導入期や初級の子供を指導することと、教室を運営するという経験をいたしました。

 

その後、結婚・出産を経て、忙しく子育てをしながらも、常に2,3人の生徒さんが我が家を訪れてくれたのは有難いことでした。そして、まるで神様からのギフトのように、2年に一度は演奏の機会を得て、演奏の感覚をキープすることができました。

 

結婚後の生活で気づいたことがあります。

家事育児をしている時とピアノを演奏している時。この二つの間にある激しいギャップに気づきました。

 

より一層、音楽の特別さを認識するようになりました。音楽は地球上でただ、空気の振動の結果として聞こえてくるのではありません。幽霊が異次元の存在であるのと同じように、音楽も異次元の波動を持っています。ですから、私たちは音楽と一体となるとき、この世にいながらにして、あの世(?)に赴いていることになるのでしょう。結婚前までは毎日が音楽で埋め尽くされていたので、かえって音楽の特別さに気づかなかったのでした。

 


結婚、出産、母として


私には結婚願望がありました。温かい家庭を持ち、妻として母として、日常生活を素朴に生きてみたいという気持ちです。そんな中、演奏活動中に出逢った夫と気が合って、晴れて結婚しました。

その後、待望の赤ちゃんを授かり、赤ちゃんの可愛さにすっかり魅了されて、このままピアノを忘れてしまうかもしれない!と思うほどでした。

 

ところが、私の長女は自閉症(中度)でした。(2歳まで気づきませんでしたが。)

その後、長女の2歳下に、健常児の次女が生まれました。

現在私は、母として、この二人を懸命に育てています。早くも小学6年生と4年生になりました。

 

自閉症の子供を育てるには、大変な苦労があります。ちょっと書けないような大変さです。

私はまだ子育てを美しい言葉で語れませんが、出産後のちょっと素敵な思い出を書いてみます。

 

長女は私のお腹から出てきたとき、後光が差していると私は感じていました。

そして、すやすや寝ている長女を見ている時、おかしなことを感じたのです。

 

「この子にふりかかる困難は、私が一緒に背負ってあげるから、がんばろうね」というような感覚で、切ない涙が次々と頬をつたって落ちるのでした。どうしてそんな風に思ったのかよくわかりません。次女の時には、そんなことは思わなかったのです。

 


子育てのこと


長女は美しい娘で、何かと手がかかりますが、人を癒やすパワーを持っています。寝顔は12歳の今でも、天使のようで、いつまでも見続けたい美しさです。

なぜ、障がいなんていう理不尽なものがあるのだろう?と悩むこともありますが、どんな人でも本質は神なるものであり、生を受けていることには無限大の価値があるのだと信じます。

 

次女は活発なしっかり者ですが、自閉症の姉と一緒に育てられるという試練の中で、葛藤しているかもしれません。私は忙しい母で、次女にしてあげたい事を十分にできていません。長女の世話をしながらも、その時一人放ってある次女の方へ気持ちを向けて、「ごめんね。でもがんばって!あなたなら乗り越えられるよ!」とエールを送っています。

 

次女には小さい時から伝えていることがあります。

あなたのお母さんは、他の何よりもピアノが一番好きであること。

旅行とか、美味しいものとか、スポーツとか、他のどんな楽しみがあっても、それとは比べられないほどピアノが楽しいのだ、あなたのお母さんはそういう人なのだと伝えてきました。次女はどう思っているでしょう?

 

次女にも、好きなものを素直に好きと感じる感覚を大切にしてほしいと願っています。

だって自分のワクワク感の源がどこにあるのかを知っているのは、世界中で唯一自分だけなのですから。

大人になってもずっと、「好き」「気持ちいい」「幸せ」を感じられる心を持っていてほしいと願っています。

 


これまでにピアノを師事した先生方


崎山妙子氏、(故)石川文子氏、田辺融氏、渡辺健二氏、御木本澄子氏、播本枝未子氏、田崎悦子氏。(ここには書き切れなかった感謝の気持ちを、各先生方に捧げます)