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言葉を介さずに伝わるもの

こんにちは。今日もこのブログへお越しくださり、誠にありがとうございます。

前回のブログで実父が危篤状態であることをお伝えしてあるのでその続きを。

先日実父は穏やかに、さほど苦しまずに他界しました。

父は戦後の貧しい時代、お腹を空かせた子供時代を経て、一文無しで上京し、アルバイトと学業を両立させる苦学生をやってのけた末、仕事が趣味とばかりに我武者羅に働いた昭和の男でした。

本当に長い間、お疲れ様でした。

亡くなる日の朝、病院からの呼び出しに応じて私と夫は大急ぎで駆けましたが、呼び出しのタイミングが絶妙でした。

夫は珍しく平日の午前中に休みをとっていて、私と一緒に所用で出かける予定だったのでした。「今日なら助かる」という日でした。

父は私たちが来るまで頑張って荒い呼吸をしていたのですが、二人の子供とその伴侶の到着を確認すると渾身の力で膝を曲げて挨拶をし、その後数分の間に呼吸が小さく遠くなってゆき、私たちの呼びかけの中で静かに終わっていきました。

父はみんなが集まるのを待っていたんだなとしか思えず、「人智を超えた力に動かされている」と実感する出来事でした。

 

さて、本題です。

今日書きたいことは、タイトルの「言葉を介さずに伝わるもの」です。

 

最近気付いたことがあります。それは当たり前なことなのに見失っていたことです。

人は常に何かを感じている存在です。

何を感じているかによって、絶えず波動を変化させている存在です。

何も言わなくても波動の発信器です。

だから一緒にいるだけで、一緒にいる人にメッセージを送り続けていることになります。

むしろ「言葉」という手段は、本質をシンボル化した代用品に過ぎず、誤解を招きやすいと知っていた方がいい。

だから本当の気持ちを伝え合いたいときは、むしろ「沈黙」がよいのかもしれません。

一緒に同じ空間にいて、それでいて言葉を使わない。

言葉を使わずに一緒に何かをするとか。

 

ほとんど会話をしたことがなくても、「あの人から愛を感じる!」と思う人がいます。

言葉に頼らずに愛を伝えるためにできることは、自分の心を幸せで満たすことだと思います。

幸せって何だろう?

優しさの感覚のこと。

やわらかさとか、柔軟さがあってふわふわしていられること。

色々ことをユーモアで受け取れること。

起きていることと自分との間に距離を持てること。

 

おっと!言葉は代用品に過ぎないと言いながら、また言葉で示そうとしている自分がいます。

音楽を楽しんでいるときはふわふわ気分なので、幸せだと思います。

自分で自分を幸せにしよう!

そういう自分でいるだけで、何もしなくて何も語らなくても、人に幸せが伝わるから。

とりとめなくなりましたが、今日はこの辺で。

 

また遊びに来てくださいね。

 

立川市 ピアノ教室ソラージュ