· 

聞こえる?感じる?音楽はどこにある?

こんにちは。ブログ更新、一日遅れました!

子供たちの新学期が始まると、いよいよ今年も始動したな!という実感が湧きます。

今日もこのブログを訪ねてくださってありがとうございました。

 

このブログを書く前にピアノの練習をして、体と心を音楽モードに変更してきました。

私の場合、ピアノ演奏を一定時間行うことで、体のエネルギー状態が変わってきます。

良いとか悪いとかいうジャッジは抜きにして、音楽モードについて書いてみようと思います。

 

主人が昨日こう言いました。

「通勤の時間が長い。本を読みたいと考えていたが、落ち着かないし、立つ時間もあるし、意外と読めないものだと悟ったので、その代わりにウオークマンを買って音楽を聴きながら通勤しようかな。」

 

なるほどな、と思いました。

ちなみに主人は竹内まりあとか、中島みゆきに心惹かれています。

通勤時間に彼女たちの歌声に癒やされたら、一時的に仕事の重圧から心を解放できるのですから、大いに賛成しました。

 

一方、次女の話です。

小学校の音楽の授業は低学年のうちから専科の先生が教えてくれるようになります。

娘の場合、音楽専科は、女性講師の出産育児休暇で入れ替わりが激しく、3人の先生にお世話になってきました。

娘の印象では、三者三様の良さがありつつも、音楽への熱意の伝わり方がはっきりとわかると言います。

彼女にとっては、音楽の先生は「親しみやすい」とか「優しい」というメリットよりも、

「非日常的な感じ」や「迫力」や「熱意の大きさ」を魅力的と感じたようです。

音楽室に入った瞬間、または先生の姿を見た瞬間に、音楽モードに引きずり込まれることは魅力的だったようです。

そのパワーの大きさは、言葉を発したりする前に、先生のいる空間に満ちているということのように思えます。

 

日常と音楽。

社会と音楽。

この二つには明らかなギャップがあります。

 

私はつくづく、音楽は非社会的であると思います。社会に溶け込んでいるほど、つまらないのが音楽。

社会の外へ連れ出してくれればくれるほど、豊かで面白くて癒やされるのが、音楽。

 

主人はこれから仕事に向かう重圧の中で、ウオークマンで音楽を聴きたい。

娘は他の授業と音楽の授業のギャップが大きれば大きいほど、面白くワクワクすると言う。

私は、このブログを書くとき、読んでくれる人が文字を媒体としても、音楽を感じる何かを書きたいと思っている。

だからピアノモードになってから書き始めた。

 

音楽モードでは世間をうまく渡れません。

日常を乗り切るためには社会モードに切り替えなくてはなりません。

つまり、

計算をする。

情報を集めて状況を読む。

現状の見抜く。

 リスクを回避する。

将来の見通しを持つ。

 

疲れますね。。。

 

音楽モードではどうなるでしょうか。

まず、

リラックスする。

重力から自由に解放される気分を味わう。

愛の存在を何となく感じていられる。

「今」と「永遠」とが重なって感じられる。

音がしているのに、同時に静かな感じがする。

 

私たちは過酷な人生ゲームの中にいるので疲れます。

だから、心をゲームの外に出す時間が必要なのではないかと思います。

音楽は現実からの一時的な離脱を促します。

もし量子力学で数値を出すことができるのなら、音楽モードなるものの詳細なデータが

得られるのではないかと思います。

 

娘が言うには、音楽モードの激しい先生は、練習にも厳しかったし、要求も高度だったと。

でも音楽でみんなが盛り上がることが楽しかった、

音楽という異世界の旅を味わえるのが面白かったと。

 

ピアノ教室ソラージュに入った瞬間に、非日常を何となく感じてもらえるような自分でありたいと

思っています。

 

 

また懲りずに、ここへいらしてくださいね。

来週もがんばって書きます!

 

立川市 ピアノ教室ソラージュ