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究極の目的は自分自身の価値に気づくこと。

こんにちは。このブログを読んでくださってありがとうございます。

9月に入りましたね。

夜は秋の虫が賑やかで、中学生の娘がわざわざ窓をあけて「綺麗」と言いながら虫の声を楽しんでいます。

虫の声をちっとも五月蠅く感じないのは日本人独特な感性であると聞いています。

 

8月はピアノ教室にも2,3週間ほどの夏休みがありました。

夏休みは生徒さんの対策に追われない分だけ、私自身の勉強を進めるチャンスです。

昨年の夏も今年の夏も、研究室に研究者が籠もるかのごとく、お勉強を進めました。

昨年はバッハのインベンションとシンフォニアのアナリーゼを。

今年はバッハと同時代の他の音楽家のピアノ曲を調べました。

 

皮肉なことに、コロナウイルスによる行動自粛がステイホームでのお勉強を後押ししてくれました。

さらに皮肉なことに、今年は夫が足に大怪我をし、私も股関節を痛めてしまって、結局はステイホームな研究者となることができました。

やればやるほどに私自身の勉強が足りないことがわかってしまうので、苦しい闘いでもあります。

そして、つくづく忘れてはならないことがあります。

「生徒さんのピアノが上手くなるために!」という目標のために勉強するのですが、

それにとらわれ過ぎると大切なことを忘れてしまいます。

 

生徒さんたちはどうして、わざわざお金も時間もかけてピアノを習いに来ているのか。

 

最終的な目標は、生徒さん自身が自分の無限なる価値に気づくためだと思っています。

 

音楽について語るとついつい難解な表現になってしまうのですが、

音楽には「楽しい」とか「綺麗」という奥に、「深い」という価値があります。

音楽は次元の異なるところからやってくるからです。

 

私たちは普通に肉体の存在として考えれば「大したことない」わけですが、

音楽というヒントを使って、自分に秘められた価値に気づくことができると思っています。

ピアノを習いに来てくれている生徒さんはみんな才能もそれぞれだし、生活環境もそれぞれですが、

見えざるところにある価値には優劣はありません。みんな無限なのですね。

ピアノのレッスンを通して、これを絶対に忘れちゃいけないと思っています。

レッスン中にやっていることは、ただただ一心に説明して、そして実践に継ぐ実践で、難しいところは

何十回も弾かせたりして、泥臭いトレーニングをするのです。

でも、究極のところは、無限です。

これを忘れずにいたいと思います。

 

明日は小学生数人がレッス集まり集まり、「弾きっこ&聴きっこ会」をします。

夏休みの成果をお友達同士で聴き合うのです。

楽しみにしています。

 

またぜひこのブログにいらしてください。

 

立川市ピアノ教室ソラージュ