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どこか、非日常的な空間へに行きたい気持ち

こんにちは。

一月以上更新していなかったのに、今日ここへ来てくださる方に感謝です。

ありがとうございます。

 

この一月の間に私は2回も遊園地へ行きました。

一人ずつ娘を連れて。

長女は4年ぶりの東京ディズニーランドへ。

あのメルヘンをもう一度くらい体験させておいてもいいかなと思いまして。

次女は富士急ハイランドへ。絶叫マシンへ再チャレンジです。

もうこれで絶叫マシンへの未練無し!というほど乗ってきました。

 

東京ディズニーランドはお天気に恵まれた日曜日だったので、さすがに混んでいました。

よくぞここまで大勢の人が集まるものだ!とディズニーランドの人気に感心しました。

異空間の疑似体験を求めてやってくるかな。。

ファンタジーやメルヘンやSFなど上手く造られた空間に入り込み、非日常感を楽しむ。

富士急ハイランドの絶叫マシンも、過激な体感を通して、非日常を感じようとしているのだと思います。

 

目に見えるもの。

耳に聞こえるもの。

鼻から匂うもの。

体に触れる感触。

口に入れて楽しむ味覚。

 

これらは情報で、データとして脳に送られる。

そのデータを脳が解釈して、そこに「在る」と感じています。

ところが量子的な観点からすると、

人間が「在る」と解釈していることと

「実在」しているかどうかは別だそうです。

そりゃそうですよね。脳の解釈は一人一人異なる結果になるのですから、

一つ一つが実在しているのとは、ちょっと違うのでしょうね。

 

難しいことはさておき、ピアノの話へ行きます。

ピアノを演奏したり、聞いて楽しむ目的も遊園地と同じようなところがあります。

ピアノの音で場を満たすことにより一種の「疑似体験」を作り出そうとしています。

 

例えばベートーヴェンのピアノソナタ作品53「ワルトシュタイン」の三楽章の冒頭。

色々な疑似体験をさせてくれるところです。

私の場合で言えばこんな体験です。

朝日の昇る時刻。

山頂に立って雲海を見渡す。

雲海の彼方から光が満ちてくる。

上空は群青の空に星が輝いているが、徐々に光の勢力に押されてゆく予感がある。

何かが来る感じ。

何が来るのか。

善きものが来る。

美しきものが来る。

徐々に来る。

こちら側の世界を美しい光で満たすべく、やってくる。

心の底に希望が広がり、嬉しさと感謝が湧きおこるのを感じる。

・・・・・

こんな感じです。

素晴らしい・・・

ベートーヴェンは何をイメージして作曲したのでしょうね。

 

私の場合は、音楽によって引き起こされる疑似体験が何より美しくて嬉しいと感じるので、

色々ほかに探すのをやめてしまって、時間さえあればピアノを弾きたい人間になってしまっています。

人それぞれ、自分の体験したい世界を、「解釈による疑似体験」を求めて、生きているのではないかと思っています。

夫はひたすら「キャンプ」が好きだと言います。「焚火」が最大の癒しだと。

次女は本や漫画や映画の中に入って物語を楽しむことが生き甲斐だと言っています。

長女は・・・・多分、食べ物かな。おいしい味覚は何よりの憧れ。(笑)多分です。

 

音楽がどこからやってくるのか。

こういう問いかけは西洋文化の中で繰り返し行われています。

結局は、大雑把に言えば

「どこか、彼方からやってくるのだ。あぁ不思議だねぇ」

という結論になっていると思います。(結論になって無い!)

 

一方東洋の話。

お釈迦様はなんと、芸術を追いかけるなとおっしゃったそうです。

芸術のインスピレーションも執着の一つであり、キリ無し。

何度でも生まれ変わっては体験したくなるから、近づかなくて良いよ、みたいな。

 

これ知ったときに、私は安心しました。

でもその後もやっぱり相変わらずピアノを追いかけているのですけど。

以前よりは脱力したような気がします。

 

これ以上書くとまとまらなくなりそうなので、今日はこの変で終わりにします。

 

また是非、このブログへ遊びにいらしてくださいね。

 

立川市ピアノ教室ソラージュ